まなびのひきだし
2016.09.07
24.発達過程とは
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このコーナーでは、むっちゃん先生(無藤隆教授)が、保育・幼児教育の大事なポイントを分かりやすく解説します。一人でじっくり読むのもよし!研修の素材として、園やクラスのみんなと読むのもよし!様々な形でご活用ください。毎月1回(第1水曜日を予定)お届けします。読まなきゃ、損。差がつきますよ!
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保育所保育指針の第2章「子どもの発達の2.発達過程」を取り上げます。
子どもの発達過程は、おおむね次に示す8つの区分としてとらえられる。ただし、この区分は、同年齢の子どもの均一的な発達の基準ではなく、一人一人の子どもの発達過程としてとらえるべきものである。また、様々な条件により、子どもに発達上の課題や保育所の生活になじみにくいなどの状態が見られても、保育士等は、子ども自身の力を十分に認め、一人一人の発達過程や心身の状態に応じた適切な援助及び環境構成を行うことが重要である。
保育指針では乳幼児期全体を8つの時期に分けてとらえています。おおむねそれぞれの時期に多くの子どもが示す発達的な特徴が述べられています。当然ながら、それは全員がまったく同じ発達的特徴をきちんとその時期になると示すと言っているのではなく、多くの子どもが示すであろうということと、一人の子どもをとっても、その中にはその時期にふさわしい特徴もあれば、そうでない特徴も一部には混じるだろうということでもあります。
これは発達の基準ではありません。それを目指して保育するというものではないし、その何かが達成されてないと、子どもに問題があるとか保育に支障が出ているということでないのです。数ヶ月のずれなどはよくあることです。
わざわざ「発達過程」と呼び、「過程(プロセス)」ということを強調しています。それは子どもが成長することは絶えず変化していく過程にあるということだからです。歩き出している子どもを考えてみましょう。座る、はう、立つ、つたい歩き、そして歩き出します。その一歩を踏み出したことを「歩く」と呼んでよいのでしょうか。数歩歩いたときでしょうか。数分歩けるくらいで、そう称すべきでしょうか。ある日、数歩歩けたとしても、その日も翌日もまだつかまり立ちやつたい歩きをしていて、どうやらたまたま歩けたらしいという時もあります。発達とは突然あることが出来るようになり、それが明確に出来ないと出来るとを分けるということにはなりません。少しずつ出来るようになっていくのです。本当にしっかりと何分も安定したペースで歩くとなると、おそらく満2歳に近いくらいになって出来るようになることです。 歩くけれど、よたよたしているということもあるでしょう。歩くけれど、そのことに必死で、数歩歩くと、そこで倒れ込むかも知れません。
発達は徐々に進み、連続的なものです。その一部(例えば、足の動き)とまた別の一部(例えば、上半身)は時に発達がずれたりもします。そういった流れの中に常にあるので、「過程」と呼んでいます。
保育所だと、家庭から入園したばかりで、まだ保育所の生活になじんでいないことがあります。そうすると、発達が遅れ気味だと見えることも出てきます。でも、それは例えば、親子が一緒の様子を見ると、しっかりと話せたりしていて、驚くこともあります。どれが本当の姿だというより、場合により、状況により、また相手次第で、様々な姿を示すものなのです。
発達の過程にあるとは常にある意味で子どもは完成しておらず、未熟だということです。歩くことは出来ても、走ったり、飛び降りたりは出来ないかも知れません。その出来ていないことに注目すれば、子どもは常に何かが出来ない存在です。既に出来ているところを見れば、いろいろな面で有能です。
大事なことは子どもはいきなり出来るようになるのではなく、常に、それ以前の出来ることを元にして、次のことへと進むということです。その準備としての力は、ちょうど冬に木の芽が葉を出し、花を開く準備をしているように、子どもの内面に蓄えられていきます。
それを保育の環境を適切に用意すると、実際の活動として引き出すことが出来ることがあります。つたい歩きが出来るとは自立しての歩行ではないが、頼るところがあれば、歩けるという時期だということです。子どもが発達のどのような姿を示すかはどういった環境にあり、保育士がどのような援助の手を差しのばすかによって変わってきます。
だからこそ、そこに保育の意義があるのです。発達は大きく言えば、決まった順序で進みます。しかし、細かく丁寧にとらえると、行きつ戻りつ、右に左にと揺れて進みながら、徐々に出来るようになり、しかもそれは援助の手立て次第で変わっていくものなのです。